大学教員のキャリアに関する研究(適宜更新)

久しぶりの更新です。

自分のキャリアも大きく変わり、そのことについてまとめて書きたいのですが、さしあたりそのことは脇に置き、大学教員のキャリアに関する研究をまとめます。

年代もカテゴリーも気にせず、いま思いつくものを並べます(いつか整理します…たぶん)。そのため以下のリストから漏れているものも多いですが、お許しください。なお、日本の大学教員のキャリアに関連したものに限定します。英語圏には膨大な研究蓄積があるのですが、それを書きだすとキリがないので。

 

*大学教員研究を概観したものとしては、湯川やよい・坂無淳・村澤昌崇「大学教授職研究は何をなしうるか:成果と展望」(2019年)を参照してほしい。

 

・林凌・中川雄大若手研究者のキャリア形成における非常勤講師職の役割」(2023年)

・桑畑洋一郎「人文社会系大学院博士課程修了者が企業で働くということ」(2023年)

・米澤彰純・佐藤香編『大学教員のキャリア・ライフスタイルと都市・地域―「大学教員の生活実態に関する調査」から』(2008年)*pdf

・加藤真紀「外国学位が日本の大学教員キャリアに与える影響」(2022年)

・加藤真紀「博士課程修了者による大学教員職への就職 : インブリーディングや兼務教員に着目して」(2022年)

・加藤真紀「大学教員に求められる教育力 : JREC-IN公募データによる把握の試み 」(2023年)

篠原さやか「女性研究者のキャリア形成とワーク・ライフ・バランス」(2020年)*pdf

・藤本哲史・篠原さやか「女性研究開発技術者の家族的責任とプロフェッショナル・コンフィデンスがキャリア継続に与える影響」(2015年)

篠原さやか・藤本哲史「女性研究者・技術者のワーク・ファミリー・エンリッチメントに関する探索的研究」(2023年)

・大平剛士「情報科学領域の女性研究者のキャリアと仕事と家庭の両立、子育て」(2023年)

・森玲奈・村上正行「大学院生の院生生活における躓きと乗り越え」(2021年)

・河野銀子「女性研究者はどこにいるのか」(2018年)

・児島功和「子育て中の大学教員はどのように仕事と家庭生活のバランスをとっているのか」(2021年)

・人文社会科学系学協会男女共同参画推進連絡会「人文社会科学系研究者の男女共同参画実態調査報告書」(2020年)

・二宮祐他「大学における新しい専門職のキャリアと働き方―聞き取り調査の結果から」(2019年)

・二宮祐「実務家教員による大学の授業に関する意識 : キャリア論、メディア論、観光論を事例として」(2023年)

・二宮祐・小山治・児島功和「「実務家教員」の系譜 : 政策と慣行」(2021年)

・二宮祐他「高等教育機関における新しい「専門職」 : 政策・市場・職能の観点から」(2017年)

・丸山和昭・齋藤芳子・夏目達也「アドミッションセンターにおける大学教員の仕事とキャリア : 国立大学の教員に対する聞き取り調査の結果から」(2019年)

・丸山和昭他「教育と研究の分業と大学教員としての「ふさわしさ」 : 大卒者ウェブ調査の結果から」(2020年)

・上林陽治「専業非常勤講師という問題」(2021年)

・佐藤龍子「国立大学の任期制教員の現状 : ヒアリング調査から」(2010年)

・佐藤龍子「公立大学の任期制教員の現状 : ヒアリング調査から」(2010年)

・佐藤龍子「私立大学の任期制教員の現状 : ヒアリング調査から」(2011年)

・横路佳幸「大学院生におけるメンタルヘルス問題について」(2021年)

・坂無淳「大学院生の悩みとメンタルヘルス: ジェンダーの観点からの統計分析と支援策の検討」(2023年)

・葛城浩一「大学教員としてのキャリアパスに立ちはだかる壁 : 大学の多様性に着目した分析」(2023年)

・葛城浩一「大学教員としてのキャリアパスに立ちはだかる壁 : JREC-IN Portal 掲載の公募情報を用いた基礎的分析」(2022年)

・中尾走他「大学教員の意識に関するAge-Period-Cohort 分析 : 教育・研究志向を事例にして」(2022年)

・小林美保・両角亜希子「国立大学教員の教育時間の規定要因」(2018年)

・藤村正司「なぜ研究生産性が失速したのか? : 大学教員の現在」(2018年)

・藤村正司「法人制モデルの長期化に対する国立大学教員の反応 : 離脱型と忠誠型の行方」(2021年)

・村澤昌崇・中尾走・松宮慎治「大学の研究生産とガバナンス」(2019年)

・渕上ゆかり・杉田菜穂「大学教員のワーク・ライフ・バランス実態と求められる職場環境改善支援」(2021年)

・天野智水「国立大学の教員給与制度」(2015年)

・羽田貴史「大学教員の能力開発をめぐる課題」(2011年)

・羽田貴史他「研究大学における大学院教員の能力開発の課題 : 2008年東北大学教員調査の結果

・橋本鉱市他「研究者市場における文科系博士院生の就職要件 : JREC-INによる公募情報の分析」(2013年)

・川島浩誉・山下泰弘・川井千香子「大学における研究関連求人の推移:JREC-IN Portal掲載の求人票に基づく分析」(2016年)

・葛城浩一「大学教員として就職するまでのプロセスと就職後の教育・研究活動との関連性 : ボーダーフリー大学に着目して」(2018年)

・葛城浩一「ボーダーフリー大学教員の学士課程教育の質保証に対する意識」(2017年)

・葛城浩一「教育と研究の両立という大学教授職の理念に疑問を呈している教員とは : ボーダーフリー大学に着目して」(2016年)

・葛城浩一「ボーダーフリー大学教員の大学教授職に対する認識(5)—先行研究で得られた知見との比較を中心に」(2015年)

・葛城浩一「「教育志向の教員」の再検討 : ボーダーフリー大学教員に着目して」(2015年)

・葛城浩一「ボーダーフリー大学教員の大学教授職に対する認識(4) : 教育志向の教員に着目して」(2014年)

・葛城浩一「ボーダーフリー大学教員の大学教授職に対する認識(3) : 教育と研究の両立の困難さに着目して」(2013年)

・葛城浩一「ボーダーフリー大学が直面する教育上の困難—授業中の逸脱行動に着目して」(2012年)

・葛城浩一「ボーダーフリー大学教員の大学教授職に対する認識 : 「大学教授職の変容に関する国際調査」を用いた基礎的分析」(2011年)

・菊池美由紀「ボーダーフリー大学におけるキャリア科目担当教員のストラテジー」(2020年)

2022年の勉強会の記録

2019年から勉強会を開催してきた。過去の記録は次のとおり。

yoshikazukojima.hatenablog.com

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2022年の記録は次のとおり。

 

第26回:志田未来『社会の周縁を生きる子どもたち』明石書店

www.akashi.co.jp

第27回:江原由美子「『男はつらいよ男性学』の限界と可能性、②平山亮「『男性性による抑圧』と『男性性からの解放』で終わらない男性性研究へ」

www.jstage.jst.go.jp

第28回:エリーザベト・ベック=ゲルンスハイム「ポスト・家族らしい家族への途上」、「仕事の分担、自己イメージ、ライフ・プロジェクト」(『個人化の社会学ミネルヴァ書房

www.minervashobo.co.jp

第29回:互いの近況報告

 

なんと4回しか勉強会を開催しなかった!2019年は11回、2020年は7回、2021年は6回、2022年は4回。順調に(?)減っている。メンバーのスケジュールがあわないこともあるが、主催者である私がメンバーになかなか声をかけないことが一番大きい。2023年はもう少し開催回数を増やしたい。私にとって勉強会は科研の研究会と同様に数少ない「研究仲間」と会える場なので。

 

勉強会で読んだ文献や論文はどれもよかったが、エリーザベト・ベック=ゲルンスハイムの論稿は自分が日頃モヤモヤと考えていることに言葉を与えられたと感じるもので、大変有意義だった。院生時代に英語で同書を読んでいたが、今回邦訳で読んで当時の自分の理解がいかに浅かったかを思い知ることとなった。訳者と出版社の方には感謝したい。

 

同論文からいくつか印象に残った言葉を引用したい。

第6章「ポスト・家族らしい家族への途上」

家族生活はもはや一つの場所で起こらない。いくつもの場所に分散している。まして共通するテンポの周期もない。というのも、幼稚園や学校や若者組織の予定表、妻や夫の勤務時間、店の営業時間、公共交通機関の時刻表などのさまざまな社会制度によって、家庭生活が構造化されているからである。これらすべてにおいてもっとも重要なのは、勤務時間のフレキシビリティ化が家族生活に直接押し入ってきたということだ。それは、継続性や安定性、調整といった、一緒に生活するために必要なこととは一致しない、不規則で変動するテンポを作り出す

(153頁)

 

現代の家族生活のさまざまな事例が示してきたように、互いに異なる個人誌をまとめるためには、かつてよりもずっと多くの努力が必要となる。かつて人々は、いざというときには規則や儀式に頼ることができたが、今日予想できるのは、日常生活を上演し、アクロバットのようにバランスをとって調整するという展望である。(中略)自ら作り出す関係の日常的な細部について、人々が選択し、交渉し、決定するとき、愛や苦しみ、多様性という「正常な混沌」が、大きくなり、発展しているのである

(164頁)

 

第7章「仕事の分担、自己イメージ、ライフ・プロジェクト」

女性の期待と要求は、男性にとっては、不愉快であるだけでなく、かつては自明だと思っていた多くの特権の停止、男性の自己イメージや自信の深く根づいた諸要素への攻撃を予兆する。(中略)それゆえ男性にとっても女性にとっても、家事の分担という争点は、はるか深層のアイデンティティ、将来への計画、自尊感情をかき乱す。結果となるテーゼは、結婚あるいは恋愛関係のなかで、仕事の分担をめぐって衝突が起きるときに問題となっているのは、家事以上のものだということだ

(177頁)

 

家事をめぐる交渉が刺々しく苦々しいものになってしまうのは、それが進行中のアイデンティティ闘争の一部だからである

(178頁)

質的調査に基づく論文(適宜更新)

同僚だった竹端寛先生(現在:兵庫県立大学)が次のツイートをしていたことを受けて、思いつくものをリプライでお伝えしていたら、「まとめるとどなたかの役に立つのでは?」とのご提案をいただいた。

以下、思いつくものを列挙したい。竹端先生がどのようなアプローチを「エスノグラフィー」と呼んでいるのかわからないが、さしあたりそれは脇に置く。

ウェブからダウンロードできるものに限定し、かついま思いついたものを列挙しているだけなので、読んだ当時「これは素晴らしい」と思った論文でも記載していないものがある(思い出したら書き足す)。私が社会学の論文をよく読むからかもしれないが、日本教社会学会、日本労働社会学会には質的調査に基づく素晴らしい論文が多数あり、読んでいてとても勉強になる。日本質的心理学会にも(その学会名どおりに)多数の質的調査に基づく論文があり、時間があれば読んでいる。

●新谷周平「ストリートダンスからフリーターヘ:進路選択のプロセスと下位文化の影響カ

●新谷周平「フリーター選択プロセスにおける道具的機能と表出的機能 :現在志向・「やりたいこと」志向の再解釈

●新谷周平「学校外支援の構造と機能 : 公的中高生施設「ゆう杉並」とその周辺のエスノグラフィー

●野村駿「なぜ若者は夢を追い続けるのか:バンドマンの「将来の夢」をめぐる解釈実践とその論理

●野村駿「不完全な職業達成過程と労働問題:バンドマンの音楽活動にみるネットワーク形成のパラドクス

●尾川満宏「地方の若者による労働世界の再構築:ローカルな社会状況の変容と労働経験の相互連関

●知念渉「〈インキャラ〉とは何か:男性性をめぐるダイナミクス

●知念渉「〈ヤンチャな子ら〉の学校経験:学校文化への異化と同化のジレンマのなかで

●伊佐夏実「教師ストラテジーとしての感情労働

●盛満弥生「学校における貧困の表れとその不可視化:生活保護世帯出身生徒の学校生活を事例に

志田未来子どもが語るひとり親家庭:「承認」をめぐる語りに着目して

●小西祐馬「生活保護世帯の子どもの生活と意識

●大澤真平「子どもの経験の不平等

●山根清宏「「引越屋」の労働世界:非正規雇用で働く若者の自己規定

●橋口昌治「揺らぐ企業社会における「あきらめ」と抵抗:「若者の労働運動」の事例研究

●原未来「対象関係組み替え過程としての「ひきこもり」と〈回復〉 : 当事者の語りと支援実践から

●松永伸太朗「アニメーターの過重労働・低賃金と職業規範:「職人」的規範と「クリエーター」的規範がもたらす仕事の論理について

●朴知遠「外国人留学生労働者のエスノグラフィー:Z居酒屋の参与観察を通じて

●小西二郎「仕事は好きなんすよ。でもやっぱ、友達と家族が一番すね:北海道小樽市の「ノンエリート」青年

●木村涼子「教室におけるジェンダー形成

●湯川やよい「アカデミック・ハラスメントの形成過程:医療系女性大学院生のライフストーリーから

●上原健太郎ネットワークの資源化と重層化:沖縄のノンエリート青年の居酒屋経営を事例に

●岸政彦「建築労働者になる:正統的周辺参加とラベリング

●乾彰夫他「「新時代」を働き・生きる若者たち:高卒5年目の人生経路 : 「世界都市」東京における若者の<学校から雇用へ>の移行過程に関する研究IV

●宮崎あゆみ「ジェンダー・サブカルチャーのダイナミクス:女子高におけるエスノグラフィーをもとに

●内田康弘「サポート校生徒と大学進学行動:高校中退経験者の「前籍校の履歴現象効果」に着目して

●石川良子「「ひきこもり」と「ニート」の混同とその問題:「ひきこもり」当事者へのインタビューからの示唆

●荻野達史「相互行為儀礼と自己アイデンティティ:「ひきこもり」経験者支援施設でのフィールドワークから

●御旅屋達「若者自立支援としての「居場所」を通じた社会参加過程 : ひきこもり経験者を対象とした支援の事例から

●相良翔「ダルクにおける薬物依存からの回復に関する社会学的考察:「今日一日」に焦点をおいて

●窪田玲奈「“地方の地方”における若者の「地元つながり」:夕張高校OB・OG調査を基に

●伊藤秀樹「高等専修学校における密着型教師-生徒関係 : 生徒の登校継続と社会的自立に向けたストラテジー

●伊藤秀樹「高等専修学校における進路決定:進路展望を形成する「出来事」の分析より

●中村英代「「病いの語り」と「治癒の語り」:摂食障害の「回復者」への質的調査から

●小川さやか「SNSで紡がれる集合的なオートエスノグラフィ:香港のタンザニア人を事例として

●ケイン樹里安「「踊り子」とは誰か:よさこいとナショナリズムの共振をめぐるフォト・エスノグラフィー

【↓2022/07/14】

志田未来中学生の逸脱をめぐるエスノグラフィ

●菊池美由紀「ボーダーフリー大学におけるキャリア科目担当教員のストラテジー

●石野未架「教室のなかの教師の「権力性」再考

●鈴木雅博「下校時刻は何の問題として語られたか

●久保田裕斗「小学校における「合理的配慮」の構成過程

●粕谷圭佑「「社会化」過程の再特定化

藤根雅之「オルタナティブスクールの連携の技法

●白松賢「解釈学的アプローチによる教師研究の可能性

●成澤雅寛「学習と居場所のディレンマ

●梅田崇広「〈いじめ〉をめぐる語りの構築過程

●横山愛「教師は指名されていない児童の発話をどのように授業に活かすのか

●沼田あや子「発達障害児の母親の語りのなかに見る家族をつなぐ実践

●安藤りか「頻回転職の意味の再検討

●木下衆「研究者によるケアを、誰がいかに支えるか」(PDF)

●三品拓人「児童養護施設で暮らす小学生男子たちにとっての〈友人〉

●尾添侑太「居場所概念の再検討

福島智子「私は部外者それとも「準家族」?

●松村淳「後期近代における専門職の職能拡張をめぐる一考察

●相良翔「更生保護施設在所者の「更生」

●磯直樹「パリ郊外における柔道実践

●松田洋介「災害リスクとペダゴジー

●中村英代「「ひとつの変数の最大化」を抑制する共同体としてのダルク

●海老田大五朗・杉本隆久「不可知とされがちな領域への接近

【↓2022/11/15】

松木洋人「子育てを支援することのジレンマとその回避技法

松木洋人「「保育ママ」であるとはいかなることか

●戸江哲理「乳幼児をもつ母親どうしの関係性のやりくり

●戸江哲理「例外扱いする特権:母親による子どもに対する「この人」という指示

●戸江哲理「子育て仲間を「する」:「よその子」に対する注意の会話分析

●藤田結子・額賀美紗子「働く母親と有償労働の意味:非大卒女性の稼ぎ手役割と職業役割をめぐる意識

●藤田結子・額賀美紗子「家庭における食事の用意をめぐる意味づけ:質的調査からみる育児期就業女性の対処戦略と階層化

●湯澤直美「貧困の世代的再生産と子育て:ある母・子のライフヒストリーからの考察

●齋藤圭介「男性の生殖経験とは何か:育児に積極的にかかわっている男性へのインタビュー調査から

【↑2022/11/15】

また、数年前に出た前田拓也他編『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版)には特設ページがあり、各章に関連した論文リンクが張られており、読み応えのある複数の論文をダウンロードできるようになっている。

maedat.com

一橋大学大学院社会学研究科先端課題研究19「質的研究アプローチの再検討」のウェブサイトでは質的研究アプローチに関する文献レビューがなされていて参考になる。

www.soc.hit-u.ac.jp

エスノメソドロジーに関する書籍や論文は次のサイトが専門家によって作られている。

emca.jp

「そういえば、組織エスノグラフィーについては土地勘がないな」と思い、検索すると、田中研之輔先生のnoteに関連論文がまとめられていた(いくつかリンクがきれているものもあるようだが)。ちなみに、私にとって田中先生は『丼家の経営:24時間営業の組織エスノグラフィー』(法律文化社)の著者という印象が強い(他にもたくさん研究されていることは知っているが)。

note.com

note.com

2021年後半の勉強会の記録

今日で私が主催する勉強会(2021年)が終わった。

過去の記録は次のとおり。2019年から続けている。

yoshikazukojima.hatenablog.com

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2021年後半の記録は次のとおり。

第21回:デヴィッド・シルバーマン『良質な質的研究のための、かなり挑発的でとても実践的な本』新曜社

www.shin-yo-sha.co.jp

第22回:クリスティ・クルツ『学力工場の社会学明石書店

www.akashi.co.jp

第23回:松村淳『建築家として生きる』晃洋書房

www.koyoshobo.co.jp

第24回:互いの近況報告等

第25回:都島梨紗『非行からの「立ち直り」とは何か』晃洋書房

www.koyoshobo.co.jp

 

どれもとてもよかった。ただ、この半期は主催者の私が指定書籍を読みはするもののハンドアウトを準備していないことが多く、反省。

2019年に開催した勉強会は11、2020年は7、2021年は6だった。私の余裕のなさが表れていると思う。来年はもう少しペースをあげたいが、どうなることやら。こうした場は続くことが大切だとも思っているので、頑張りすぎないようにしたい。

2020年以降コロナ禍とされる状況になり、研究仲間と会う機会も激減した。この勉強会は雑談を多くすることもあり、ただ研究に関する交流というだけではなく、ホッとする貴重な場にもなっている。参加者のみなさんに感謝したい。

大学教員とメンタルヘルス

結構前に買ったのだが、最近ようやく読み始めた本がある。

www.routledge.com

この本のレビューとしては次のものがある。

blogs.lse.ac.uk

なぜこのような本を読んでいるのかというと、院生時代から今に至るまで「しんどい」と感じることが多いからという理由もあるが、同じ業界の友人や知人、職場の同僚から「憂鬱さ」について聞くことが多いという理由もある。心療内科に通っているという話も何度も聞いてきた。

何年か前から大学教員(院生の方を含む)の働き方に強い関心があり、書籍や論文を読んできた。その流れで今年は二つの論文を出した。

・ロザリンド・ギル(児島功和・竹端寛訳)「沈黙を破る―新自由主義化する‟大学の隠された傷”」『法学論集』第87号

・児島功和「子育て中の大学教員はどのように仕事と家庭生活のバランスをとっているのか」『現象と秩序』第15号

後者は「憂鬱さ」に焦点をあてたものではないが、大学教員にとって研究とはいかなる仕事なのか?という関心がまずあり、その中で子育てにも関心が向き、調査を実施した。前者は「憂鬱さ」のみを扱っているものではないが、学術の世界がいかにその住民を不安に陥れているかということを取り上げていた。ちなみに、上記のテーマでググってみたところ、大学のことを「anxiety machine」と表現している記事を見つけて納得したことがある。

TwitterFacebookをしていると、「本が出ました!」「論文が出ました!」「科研採択されました!」「学振通りました!」という明るい投稿が目につき、私は自分の至らなさに定期的に落ち込むのだが、他方、周りに目を向けると、鬱に苦しむ同じ業界の方がたくさんいるという現実。いわゆる「若手」を中心に雇用の不安定さが常態化しているだけでなく、専任教員は専任教員でオーバーワークが蔓延しているとも感じる。「憂鬱さ」に繋がる状況はあちらこちらにあると考えている*1

私自身は「大学教員とメンタルヘルス」というテーマで調査をしたいと思ってきたが、現時点では直球では扱えていない。ただ、きわめて重要なテーマだと思っており、今後(調査主体が誰であれ)大規模な形で調査がなされればいいのにと考えている。

*これを書きながら、こうした問題で書いていた方がいたはず…と思い、探してみたら、横路佳幸「大学院生におけるメンタルヘルス問題について」『人文×社会』第1号(創刊号)だとわかりました。

*1:こう書いているからといって、大学教員は他の仕事以上に大変なんですと言いたいわけではない。雇用の不安定化やオーバーワークはこの社会のあらゆるところに蔓延していると思われる以上、憂鬱さに苦しむ方はどこにでもたくさんいるだろう。

初めて教壇に立ったときの話(非常勤講師として)

大学で教えるようになった頃のことを思い出したので、記録のために書いておく。

大学で初めて教えたのは博士課程も終わりにさしかかっていた頃だった。今だと非常勤講師採用でも公募の大学があるが、当時の私はおそらくほとんどの方と同じように知人の紹介で仕事を得た。ある公立大学の教職課程の授業を担当することになった。

その大学は当時住んでいた場所からは遠く、片道で約2時間かかった。毎週往復4時間の「小旅行」だった。

とにかく初めての授業は緊張した。授業をする教室に近づくと、教室の中から学生たちの声が聞こえてきて、緊張で吐きそうになった。怖くて仕方がなかった。なんとか教室に入り、何か話をした。どのように話を切り出したのか緊張していたせいか、全く覚えていない。学生がこちらを見ていることが怖くて仕方がなかった。が、なんとか頑張って授業をして、その日は終わった。学生や事務職員の方から「先生」と呼ばれることも新鮮だった。当時は「私は先生なんてほどの存在ではないです…」という気持ちになった。

それからの授業は自転車操業そのもの。あと、なぜかわからないが、非常勤帰りはいつもラーメンが食べたくなり、ほぼ毎週最寄り駅近くの店でラーメンを食べた。落ち込みながらの帰路2時間はとても長く感じたが、幸運だったのは、同じ大学の同じ曜日に同じ大学院に通っている後輩が教えにいっていることだった。帰りの電車はいつも反省会だった。2人で毎週それぞれの授業の手ごたえを話し、「今回は〇〇をしてうまくいきました」「いいなー。おれもそうしてみよう」という話を延々とした。また、その後輩とは同じ調査をしているゼミ所属だったので、調査の進捗状況について議論することもあった。たくさん話をして、最後は2人とも疲労でウトウトしていた。

この頃は、授業に使えるものはないかと、本屋にいけば授業のための材料探し、ビデオ屋(まだあった!)にいけば授業のための材料探し、ネットでも授業の材料探し、私より授業経験のあった大学院の「仲間」には何度も「授業どうしていますか?」と質問をした(みなさん優しいので、レジュメを分けてくれた)。

また、よくないことなのかもしれないが、大学の印刷室にいくと、必ず「印刷ミス」で捨てられている授業プリントが印刷機まわりに落ちていたので、それを拾っては「あぁ、こうやればいいのか」とメモをしておき、授業づくりの参考にしていた。

無我夢中で授業をやった。「今日はうまくいった…かも」と思う日もあれば、「おれはアホか」と落ち込む日もあり、その繰り返しだった。ともかく、最初の非常勤15回を終えることができた。15回目の授業の時はおそらく学生より私のほうが喜んでいたに違いない。

こういうことを書くと「ハイ!きれいごと!」と思う方もいるだろうが、どのように教えるかを一番教えてくれたのは学生だったと思っている(多くの教員が同じように考えているのではないだろうか?)。学生の反応を見ることで、テーマ設定、教材の内容、授業構成、レポート論題等を改善させていった(はず)。私の大学院生時代のある先輩は、非常勤を始めて間もない頃、授業後に積極的に質問にきてくれた学生がかけてくれた言葉を今でも覚えていると話していた。私は名前こそ憶えていないが、「先生、他の授業はもっていないんですか?」と言いに来てくれた学生がいて、嬉しくてたまらなかった思い出がある。

私を「教育」してくれたのは、学生だけではなかった。非常勤先の職員さんも私を教育してくれた。その非常勤先の印刷室には、常駐している職員さんがおり、「新人」である私にいろいろなことを教えてくれた。印刷の仕方、輪転機が詰まったらどう直すのか(これ大事!)、それ以外にもその大学の「文化」について教えてくれた。どんな学生がいるか、どんな専任教員がいるか、以前の学生と今の学生の違い、それ以外にもいろいろな「おしゃべり」をした。とにかく、初めての非常勤でガチガチの私にとって、その職員さんは「メンター」といってよかった。

あの時は必死で、きっと履修する学生も「なんだかこの先生必死だな」と思っていたに違いない。「先生、資料多すぎますよ」と当時何度も言われた。どうにか学生にとって身になる授業をしたいと思い、学生がその時間に消化できるかどうかも考えずに、かなりの資料を印刷して配布していた。

今となっては全てがいい思い出…といいたいところだが、必ずしもそうではなく、明らかに的外れな授業をしたこともあり、詳細を思い出そうと恥ずかしさで脳内ブロックされることもある。

オチはない。こういうことを思い出したということ。ちなみに、「今は落ち着きましたが…」と言いたいところだが、そんなことはなく、当然場数を踏んだのでそれなりに慣れはしたものの、授業は緊張する。おそらくこの仕事を続けるかぎり、ずっと緊張するのだろう。

 

アンソニー・ドーア『メモリー・ウォール』の一節

数年前に読んだ小説の引用メモが出てきた。

とても印象的な言葉だったので、忘れないようにというだけで記事を書く。その小説は、アンソニー・ドーア『メモリー・ウォール』(新潮クレスト・ブック)。

 

honto.jp

 

十代の頃は小説をよく読んでいたのだが、忙しくなって全くといっていいほど読まなくなってしまった。

長い月日が流れて、たまたまtwitterジョン・ウィリアムズストーナー』が絶賛されていたので読むと感動してしまい、それから英語圏の小説を読む方のおススメ本を時々読むようになった*1。『メモリー・ウォール』はそうした中で出会った小説。 

 

sakuhinsha.com

 

それで、以下が『メモリー・ウォール』の一節。

 

地球のあらゆる場所で、果てしない数の記憶が消え、光り輝く地図が墓へと引きずりこまれる。けれども、その同じ時間に、子どもたちが動きまわり、彼らにとってはまったく新しい領域を調査する。子どもたちは暗闇を押し戻す。記憶をパンくずのようにまき散らして進む。世界は作り直される。(p.306)

 

コロナ禍によってこれまで以上に「今ここ」の情報を求めるためにネットに張りつくようになったと感じている。そして、絶望したり、憤りを感じたりと感情が(アテンション・エコノミーのもとで)動員されることに疲れを感じている。

そうした疲労を鎮めるためにも『ストーナー』や『メモリー・ウォール』のような小説を読めればいいのだけれど。

*1:現在はまた時間がなくて読めなくなってしまった。悲しい