研究時間がなかなかとれないから勉強会をやることにした

[前ブログの2019年8月15日の記事]

こんにちは。

 

研究者同士が会うとだいたい「忙しい。研究時間をとるのが難しい」という話になる。そういえば、最近英語圏で初期キャリアにある研究者の「オーバーワーク」問題等に関する記事も読んだ。

 

自分も「研究時間を取るのが難しい」と悩む一人だ。日々試行錯誤している。タイムマネジメントに関する本をいくつも読んだり(例えばジェイク・ナップ+ジョン・ゼラツキー『時間術大全』ダイヤモンド社)、“チャーリー”こと鈴木謙介先生のブログ記事「「自分の仕事」がいつも後回しになる理由)を読んで時間管理アプリであるtoggleを導入したり、菅野仁先生の『18分集中法』(ちくま新書)で言及されている集中法を取りいれたり等、とにかくよさそうと思ったものは何でもやってみている。

 

それらによってどれだけ時間を効率的に使えるようになったかは正直よくわからないが、ともかく時間とコストの関係を強く意識するようになったのは間違いない。

 

が、それだけで研究時間が増えるわけではない。教育もちゃんとする必要があるし(授業準備、授業実施、課題をLMSにアップ、学生とのコミュニケーションツールである「大福帳」に毎週コメントを書いて返却、授業でコンピューターを使う必要があればその教室予約、授業の合間の学生面談等など)、学内業務もそう。学習・教育開発センターという教育改革・改善に関する企画・運営を主に担う組織の副センター長という立場でもあり、その業務もある。自分にとってこの業務が一番重く、業務量も多い。「夏休みって先生なにしてんの?暇でしょ?」と学生に言われたこともあるが、授業がないという意味では確かにそのぶん時間が増えるのだが、この時期まで成績をつけたり、学生の提出物に関する連絡をしたり、次年度に向けた業務が既に動いており、それをあれこれとしている。勤務先の場合9月初旬に教授会があり、そこから実質的に後期スタートなので、「夏休みっぽい」のはお盆から8月終わりまでとなる。ともかく、あれこれ業務をしていると、研究時間がなくなっていく(研究も業務ではないか?と問われるとそうで、この問題はきわめて大きいと考えているが、いったん脇に置く)。教育も学内業務もちゃんとする必要があるが、研究もしたいのだ。どうすればいいのか。

 

私がなんとか研究者でいることが出来ているのは、科研の研究仲間のおかげという面が大きい。ありがたいことに複数の科研の分担者、連携研究者となっている。科研の研究会が終わると自分の不勉強さを痛感して落ち込むときも少なくないが、「やはり研究はオモロイな」という気持ちになり、気分が高揚する。正直この業界にいてシンドイと思うことも多々あるが、研究仲間と研究についてあれこれ会話をする楽しさが自分を情緒面で支えている。そして、科研関連の書籍執筆、論文執筆、調査実施、調査計画等などの予定(締切)があるおかげで、“強制的”にどこかに研究の時間を差し込む必要が生じ、研究することができている。

 

とはいえ、科研・科研仲間に助けられた形ではない形で研究モードにもっていくようにしたいとの気持ちがあり、数ヶ月前から勉強会を主催している。最初はオフライン(対面式)でだけ行なっていたが、最近はオフラインとオンライン併用でやっている。今まで勉強会なり読書会なり研究会なりはその場にみんなで集まってやるものと思っていたが、skypeやzoom等を使えばオンラインでもやれると気づき、活用している。いわゆる「研究大学」勤務の研究者であれば学内の同僚や大学院生、あるいは近隣地域の研究者と集まって研究会を開催したり(もちろん最近はそれも難しいと思う)、大学院の授業で専門書を読むことが出来るのかもしれないが、私のように「地方」の(教育を重視する)中規模大学勤務ではそれが難しい。また同じような研究背景をもち、仲も良かった(と私が勝手に思っている)竹端寛先生が転出した影響が大きく、学内で仕事を離れた研究の話をざっくばらんにする同僚がいなくなってしまったこともあった。そうした状況を、オフライン+オンライン併用勉強会によりある程度打開できたと感じている(竹端先生にご参加いただくこともあり)。

 

勉強会で何を読んできたのかというと、例えば、Mario Luis Small「'How many cases do I need?: On science and the logic of case selection in field-based research'」、稲葉振一郎『社会学入門・中級編』(有斐閣)等である。ハンドアウトは、私ともう一人レギュラー参加の先生が基本的に作成している。

 

研究者が教師として教壇に立つのが大学という教育機関の特色のはずだが、多くの大学で働く〈研究者=教師〉にとって研究することは難しくなる一方だ。所属機関批判だと思われたないので急いで付け加えておくと、勤務先の担当コマ数は私学としては多いほうではないし、研究費も平均レベルではないかと思われる。先日、知人に「もし休みがとれたら何したい?」と聞かれて「本(専門書)をゆっくり読みたい」と答えたら「それ休みじゃないじゃん」と言われたが、同じように答える研究者も多いのではないか。オフライン+オンライン勉強会は自分にとって「研究時間がとれない」という状況を僅かながら変える試みになっている。「その勉強会をする時間もないんだよ!」という方もおられるとは思うけれど。

 

だから、「みなさんやってみてください!」と主張したいわけではなく(それぞれに固有の事情があるので)、私はこう模索しているというだけの記事になる。近いうちに、小熊英二『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)を読む予定。その後は久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』(月曜社)予定。いつか著者の方を勉強会にお呼びしてお話いただくこともできたらと思っている。

 

【追記①】こうやって書くと、科研にしろ勉強会にしろ、研究仲間の存在やそれに結びついた約束や締切が、情緒的かつ道具的に自分の研究活動を支えているとあらためて感じる。

 

【追記②】どう工夫しても研究時間を【全く】確保できないという状況ではないのだろう。そういう意味でこのタイトルは正確ではなく、「研究モードに入るのが難しい状況があるから勉強会をやることにしました」のほうが正確かもしれない。

 

*あくまで勉強会は「インプット」の試み・時間であって、論文執筆「アウトプット」の時間をどうよい形で析出するかは違う形で模索中。