初めて教壇に立ったときの話(非常勤講師として)

大学で教えるようになった頃のことを思い出したので、記録のために書いておく。

大学で初めて教えたのは博士課程も終わりにさしかかっていた頃だった。今だと非常勤講師採用でも公募の大学があるが、当時の私はおそらくほとんどの方と同じように知人の紹介で仕事を得た。ある公立大学の教職課程の授業を担当することになった。

その大学は当時住んでいた場所からは遠く、片道で約2時間かかった。毎週往復4時間の「小旅行」だった。

とにかく初めての授業は緊張した。授業をする教室に近づくと、教室の中から学生たちの声が聞こえてきて、緊張で吐きそうになった。怖くて仕方がなかった。なんとか教室に入り、何か話をした。どのように話を切り出したのか緊張していたせいか、全く覚えていない。学生がこちらを見ていることが怖くて仕方がなかった。が、なんとか頑張って授業をして、その日は終わった。学生や事務職員の方から「先生」と呼ばれることも新鮮だった。当時は「私は先生なんてほどの存在ではないです…」という気持ちになった。

それからの授業は自転車操業そのもの。あと、なぜかわからないが、非常勤帰りはいつもラーメンが食べたくなり、ほぼ毎週最寄り駅近くの店でラーメンを食べた。落ち込みながらの帰路2時間はとても長く感じたが、幸運だったのは、同じ大学の同じ曜日に同じ大学院に通っている後輩が教えにいっていることだった。帰りの電車はいつも反省会だった。2人で毎週それぞれの授業の手ごたえを話し、「今回は〇〇をしてうまくいきました」「いいなー。おれもそうしてみよう」という話を延々とした。また、その後輩とは同じ調査をしているゼミ所属だったので、調査の進捗状況について議論することもあった。たくさん話をして、最後は2人とも疲労でウトウトしていた。

この頃は、授業に使えるものはないかと、本屋にいけば授業のための材料探し、ビデオ屋(まだあった!)にいけば授業のための材料探し、ネットでも授業の材料探し、私より授業経験のあった大学院の「仲間」には何度も「授業どうしていますか?」と質問をした(みなさん優しいので、レジュメを分けてくれた)。

また、よくないことなのかもしれないが、大学の印刷室にいくと、必ず「印刷ミス」で捨てられている授業プリントが印刷機まわりに落ちていたので、それを拾っては「あぁ、こうやればいいのか」とメモをしておき、授業づくりの参考にしていた。

無我夢中で授業をやった。「今日はうまくいった…かも」と思う日もあれば、「おれはアホか」と落ち込む日もあり、その繰り返しだった。ともかく、最初の非常勤15回を終えることができた。15回目の授業の時はおそらく学生より私のほうが喜んでいたに違いない。

こういうことを書くと「ハイ!きれいごと!」と思う方もいるだろうが、どのように教えるかを一番教えてくれたのは学生だったと思っている(多くの教員が同じように考えているのではないだろうか?)。学生の反応を見ることで、テーマ設定、教材の内容、授業構成、レポート論題等を改善させていった(はず)。私の大学院生時代のある先輩は、非常勤を始めて間もない頃、授業後に積極的に質問にきてくれた学生がかけてくれた言葉を今でも覚えていると話していた。私は名前こそ憶えていないが、「先生、他の授業はもっていないんですか?」と言いに来てくれた学生がいて、嬉しくてたまらなかった思い出がある。

私を「教育」してくれたのは、学生だけではなかった。非常勤先の職員さんも私を教育してくれた。その非常勤先の印刷室には、常駐している職員さんがおり、「新人」である私にいろいろなことを教えてくれた。印刷の仕方、輪転機が詰まったらどう直すのか(これ大事!)、それ以外にもその大学の「文化」について教えてくれた。どんな学生がいるか、どんな専任教員がいるか、以前の学生と今の学生の違い、それ以外にもいろいろな「おしゃべり」をした。とにかく、初めての非常勤でガチガチの私にとって、その職員さんは「メンター」といってよかった。

あの時は必死で、きっと履修する学生も「なんだかこの先生必死だな」と思っていたに違いない。「先生、資料多すぎますよ」と当時何度も言われた。どうにか学生にとって身になる授業をしたいと思い、学生がその時間に消化できるかどうかも考えずに、かなりの資料を印刷して配布していた。

今となっては全てがいい思い出…といいたいところだが、必ずしもそうではなく、明らかに的外れな授業をしたこともあり、詳細を思い出そうと恥ずかしさで脳内ブロックされることもある。

オチはない。こういうことを思い出したということ。ちなみに、「今は落ち着きましたが…」と言いたいところだが、そんなことはなく、当然場数を踏んだのでそれなりに慣れはしたものの、授業は緊張する。おそらくこの仕事を続けるかぎり、ずっと緊張するのだろう。